歴史の中央と周縁 その4

久しぶりに歴史の話題。
西ローマ的ヨーロッパ統一国家であるフランク王国は、マジャール人、ノルマン人、イスラムの、いわゆる第2次民族移動(フン族とそれに追われたゲルマン族(ロンバルドとノルマンを除く)の移動を第1次民族移動、アヴァール族とそれに追われたロンバルド族の移動を1.5次民族移動と考える。)による社会的混乱の中で崩壊し、地方分権化がすすみ、フランス、イタリア、ドイツ、イギリスなど西ヨーロッパ諸国の原型が形成された。
そして、それ以降(11C〜)、孤立した西ヨーロッパ世界の巻き返しとして初期膨張(東方植民、十字軍、レコンキスタ)がおこり、イスラムとの戦いの中でイスラムの進んだ文明を吸収し、中世ヨーロッパの中心であったローマカトリック教会の没落と普遍的帝国理念の解体に反比例する形で国民国家が形成された。
15世紀末にはレコンキスタの完了により西の周縁は消滅し、西ヨーロッパはドイツ〜東欧という東の周縁を残したまま(この東の周縁は商工業の発達した西ヨーロッパに対する穀物供給地に成り下がり、西ヨーロッパとは逆にこれ以後農奴化が進む)、航海術をはじめとする新技術を持って外の世界に目を向けるようになった。