日本仏教の古代・中世・近世

(十数年前に書いた駄文に加筆修正)


日本史の中で、中世は古代と近世という二つの秩序の時代のはざまにあった混沌の時代だ。具体的には鎌倉時代〜戦国時代(あるいは少し広げて平安末期〜織田政権期)を言うが、それは古代律令国家の崩壊から近世幕藩体制の成立までの過渡期で、要するに日本がまともに統一国家の体をなさずに内乱が頻発していた時代だった。


そして日本の仏教の歴史も、この古代→中世→近世の流れに並行する。


古代律令国家の時代、南都六宗と平安二宗(真言宗天台宗)は鎮護国家の役目を負い、国家に従属していた。ところが律令制が瓦解した平安末には個人的な救いを求める浄土教が王朝貴族に広まり、そして鎌倉時代にいたって鎌倉新仏教が興って武士や民衆にまで広まった。


中世の日本で仏教は社会的に大きなエネルギーを持っており、特に一向宗などは戦国時代には巨大な軍事勢力となった。織田信長の最大のライバルは一向宗本願寺法主顕如だったといっても過言ではなかろう。


だからこそ信長・秀吉・家康は仏教勢力の力を削ぐことに腐心した。そしてついに天下統一を不動のものとして近世幕藩体制を築いた徳川家は、寺請制によって仏教を国家秩序の枠の中に取り込んだ。以後、仏教勢力は中世のころの熱いエネルギーを失っていく。


まあこれが現代の「葬式仏教」につながっていくわけだ。良かったのか悪かったのかは別として。