王寺の明神山

今日は王寺の明神山に登ってきました。大阪の柏原市との県境にある山で、遊歩道が整備されてるのでけっこうウォーキングしてる人たちがいました。


山頂はちょっとした展望台になっています。西を眺めると霞のむこうに大阪の高層ビルが見えます。写真では分かりにくいですが、六甲山系らしき山影も見えます。天気が良ければ明石海峡大橋まで見えるらしいです。
明神山から西を見る


反対の東を眺めると、奈良盆地が一望できます。こうして見ると奈良は山々に囲まれた国。ヤマトタケルの歌に「大和は国のまほろば たたなづく青垣山ごもれる大和しうるわし」とあるとおりです。
明神山から東を見る

明神山のおはなし


明神山は王寺町の西端で、奈良と大阪との府県境にある山で標高は、273.7mで眺めも良く、奈良盆地明石海峡大橋が見える見通しの良いところである。昔は大阪堂島の米相場の旗振りもこの山頂辺りで行われていた。
大字畠田の明神山の太神宮(だいじんぐう)さんは、文政13年に大日霊女尊(おおひるめのみこと)をまつり、四国阿波(徳島県)方面からも多くの人がお詣りされ大いに賑わった。内宮(送迎(ひるめ)太神宮)も外宮(亀山太神宮)も宇治橋までもがあった。遠くから伊勢の皇太神宮へお詣りするときはこの峠を必ず通るので、ここが大和の皇太神宮で本家本元であるともいわれ、太神宮さんの御神符を授与して帰らせた。長旅で疲れた人々は、ここだけお詣りして帰って行った。昔は、道中にナツメ茶屋やシンコ茶屋、オーコ茶屋という茶屋があったらしい。
また、片岡氏が一時ここに城を築いたが、松永弾正久秀に焼き払われたといわれている。
この山に白狐が二匹いて、ある時、関屋の甚九郎という人が、白狐を一匹射ち取った。残りの一匹は東に逃れて罐子山 (天理市目堂町付近)にかくれ住んだらしい。
ある日、郡山藩主が馬に乗ってきて、これはニセの皇太神宮だと言って、郡山藩では命令を出して太神宮をこわしてしまったという話がある。太神宮さんの社は三間(約5.4m)に七間(12.6m)の拝殿で、火幡(ほばた)神社(畠田5丁目)に移された。灯籠も同社に移された。銘に「大日霊(おおひみたま)神社 和州雲門山(くどかどやま)太神宮」とある。罐子※1は畠田村の戸田氏が所蔵し、茶釜は三角(みかど)の妙見堂にある。太神宮さんの世話役が、毎日賽銭を「カマス※2」に、四、五杯入れて家に持ち帰ったといわれる。村人は、明神山の上まで行くのが遠いので、 出先の宮を字おどり場(畠田地区の字名)につくった。今でも十月二十二日にここでお祭りが行われている。
太神宮跡には、今は水神さんがまつられていて、現在でも八朔(はっさく)といって9月1日には、多くの住民が参詣しておられます。


※1 水注ぎの道具
※2 わらムシロを二つ折りにして作った袋。穀物、塩、肥料などを入れる袋として使われていた。


奈良県史・王寺町史より