歴史の中央と周縁 その2

一方、ヨーロッパでも異民族の果たした役割は大きい。漢→唐の流れと相似するのはローマ→フランクである。属州からの搾取と奴隷制に基盤をおく帝国秩序は、帝政末期になると有力者の大所領が帝国の行政からしだいに独立して帝国の権力が弱まり、また地中海支配の完成によって奴隷の供給がストップ(奴隷は征服地から輸入されていた。征服する余地がなくなったことは奴隷の供給源がなくなったことを意味する。)し、また肥大化しすぎた版図は属州の自立、経済の遠心化をもたらし、コロヌス制によって貨幣経済は衰えた。
こうした帝国秩序瓦解のなか、周縁民族であるゲルマン人が、フン族の侵入という理由もあって、ドナウ川-ライン川を越えて帝国に侵入した。ドナウ川-ライン川は中国でいえば万里の長城に相当しよう。それはローマ帝国ゲルマニアの境界ラインであった。これ以降、ヨーロッパにはゲルマン民族の国家が分立し、カール大帝による統一までじつに400年にわたる長い混乱期が続く。そしてカール大帝フランク王国が西ヨーロッパを統一し、ローマ帝国の継承者を名乗ったとき、ローマ帝国の古典文明、ゲルマン民族の文化、そしてキリスト教という宗教の融合によって、西ヨーロッパ文明圏という新たな世界が成立した。