歴史の中央と周縁 その3

ところで、異なる地域の歴史を比較するときは、比較の観点が何であるかをはっきりさせておかなければならない。さきほど、漢→唐とローマ→フランクを相似形であると言ったが、それは旧帝国秩序の瓦解→異民族侵入による乱世→異民族の文化を取り入れた新帝国秩序の成立という点で相似であるという意味だ。当然ながらそれ以外の点ではヨーロッパと中国の歴史のステップはずれている。
たとえば、ローマ帝政末期の

  1. 市民皆兵制のくずれから傭兵制への移行
  2. 奴隷制からコロヌス制(小作制)への移行
  3. 属州の自立
は、いずれも中国では(漢代末期ではなく)唐代末期の
  1. 府兵制のくずれから募兵制への移行
  2. 均田制から佃戸制への以降
  3. 藩鎮の半独立化
に相似する。
しかも、ヨーロッパではその後貨幣経済が衰え、地方分権化がすすみ、封建(地方分権)=農奴制=自然経済の中世に入るのに対し、中国ではむしろ貨幣経済は発展を続け、また唐末・五代の混乱の後を統一した宋においては、しばしばヨーロッパ近世初期の絶対王政と比較される皇帝独裁体制が成立して、専制(中央集権)=農奴制=貨幣経済という図式ができるという相違点がある。
政治の形態で時代を区分するか、生産の形態で時代を区分するかによって、中国史の時代区分が変わってくるのは当然のように思う。前者の立場なら宋代からが近世、後者の立場なら宋代からが中世ということになるだろう。しかしそもそも、ヨーロッパ史をモデルとする、古代-中世-近世・近代という時代区分じたい、どれほど普遍的なものか疑問である。今見たように、歴史というものを一元的にとらえることはできないのだから。