歴史の中央と周縁 その5(最終回)

ユーラシアから周縁が消滅しつつあった16世紀のはじめ、かたやアジアでは専制的世界帝国(清帝国ムガール帝国ペルシャ帝国、オスマントルコ帝国)が形成され、かたやヨーロッパでは近代国民国家(スペイン、ポルトガル、イギリス、フランス)が形成された。そのことが後の世界史の趨勢を決めたように思う。肥大した版図を統制することに力を消耗していくアジアの帝国に対し、ヨーロッパの国民国家は各々が帝国となるべく対外侵略をはじめた。中世末期の初期膨張を終え、ヨーロッパは近代の本格的膨張をはじめたのである。国民国家は本来、世界帝国ではありえない。しかし、ヨーロッパ=大中心が(国民国家というブロックごとではあるが)、アジア・アフリカ・新大陸=大周縁を搾取するという、あらたな「帝国」の時代がはじまったのである。
世界が無限に広ければ、ヨーロッパはちからにものを言わせてどこまでも勢力を拡大したであろう。しかし、現実には19世紀中に世界の大部分においてヨーロッパ列強のナワバリは確定された。この割って入るスキのない帝国秩序のストレスに火をつけたのが、あのヨーロッパに残された「東の周縁」である。神聖ローマ帝国の後裔オーストリア=ハンガリー帝国、東ローマ帝国の後継者ロシア帝国、東方植民の国プロイセンが牛耳るドイツ帝国セルビアを筆頭とする南スラブ諸国、そしてビザンツ帝国なきあとの東地中海の覇者オスマン=トルコ帝国。民族・宗教が入り乱れ、国民国家形成がおくれたこの地域は近代を通じて常に国際紛争の原因になり続けてきたが、20世紀においてもこの地域は2つの世界大戦を引き起こした。
第2次世界大戦後、アジア・アフリカの植民地が独立をはたして帝国秩序のストレスが軽減し、またソビエトを盟主とする共産主義圏とアメリカを盟主とする自由主義圏という東西両「帝国」が対立することになった。東西冷戦という新たな帝国秩序が生まれたわけである。しかしやがて西の帝国ではラテン的理性の帝国フランスが、アングロサクソンプロテスタントの帝国アメリカと袂をわかった。また東の帝国では赤い朱子学中華帝国(中華人民共和国)が赤いツァーリズムのロシア帝国(ソビエト連邦)と袂をわかった。第三世界といわれた大周縁も力を増し、ついには東の帝国の解体(ソ連崩壊と東欧革命)という形で戦後の帝国秩序は崩壊した。
いま世界で独り覇を唱えているのはアメリカ帝国である。しかしドイツ・フランスらの欧州連合アメリカ帝国にはくみせず独自の勢力となっている。そして東では日本と中国。世界は北米・西欧・東亜という3つの中心をもつ新たな秩序の時代を迎えたのかもしれない。