春の雪 the Movie

映画を見に行きました。今日封切りの「春の雪」(http://harunoyuki.jp/)。
まあ、予想してたほど悪くはなかったですが、原作を曲解してるのは否めませんね。清顕の最期のセリフなんて思いっきり曲解してます。原作は「豊饒の海」という転生をテーマにした四部作の第一部なんですが、映画では恋愛映画として完結させてしまってます。それから、やむをえないことではありますが、原作に出てくる唯識論とかの哲学的な話はすっぱり省略されてます。まあ、映像化しようがないからしかたないですがね。映像はとても美しい。これは文句なしに素晴らしいです。


それにしても、妻夫木聡竹内結子を主演にもってきて、宇多田ヒカルが主題歌歌って、原作をかなり曲解した恋愛映画に仕立てて、これはもう若者を狙って作ったとしか思えないんですが、映画館に入っていたのは中高年のオバサンたちがほとんど。若者のカップルはほとんどいませんでした。まあ、いまどきの若い人には理解しにくいお話ですがね。大正初期という時代背景とか、華族社会とか、勅許の意味とか分からないと悲恋性が分からないと思います。


まあ、悲恋といっても清顕がヘタレなだけなんですがね。「僕には何の関係もないことじゃありませんか」とか「地震が起こればいいのだ。そうすれば僕はあの人を助けに行くだろう。大戦争が起こればいいのだ」とか原作にもある清顕のアホなセリフが出るたびに笑いがこみ上げてきて吹き出しそうになりました。
キャスティングで一番はまってたのは、清顕の祖母役の岸田今日子ですね。幕末から明治の男たちの戦いの時代を生き抜いてきた女性の気骨というか胆力のようなものがよくでてます。


今気づいたけど、「大地震が起こればいいのだ。そうすれば僕はあの人を助けに行くだろう」って、最近似たようなセリフ読んだなあ。「蹴りたい背中」のにな川のセリフ。「地震が起きたらいいのにな。 (中略) 俺は (中略) オリチャンを助けるんだ。」 絶望的な願望のセリフ。英語でいえば仮定法で if 節に should や were to が用いられる構文だ。ありえない未来の仮定。ありえない未来への願望。