知識の価値

知の難きに非ず。知に処するは則ち難きなり。 「韓非子

(知ることが難しいのではない。知っていることにいかに身を処するかが難しいのだ。)

史記」の「老子・韓非列伝」にも引用されている韓非の言葉。
身につまされる言葉だ。
僕は世界の歴史を学び、いろいろな宗教や哲学を学んできた。知識の広範さでいえば、まあそこそこの物知りだと思う。ただ全然それが自分の人生に活かせてないように思う。
身のまわりを見渡すと、釈尊の教えを知らなくともそれを実践している人がいる。老荘の教えを知らなくともそれを体現している人がいる。人間的に全然成長していない自分を省みて恥ずかしく思う。
ここ10年のインターネットの普及、特にgoogleなどの検索エンジンのおかげで、知識を手に入れることは、ものすごく容易になってしまった。そのため単なる「物知り」であることの価値は大暴落したように思う。大切なのは知識をいかに活用するかなんだけど...やはりそこが難しい。