仏法とフィクション

むかし、『ぼく地球を守って』の作者の日渡早紀がこんなことを書いておられました。

フィクション造りを職業とする人々は、早い話がお客様を現実逃避させることをなりわいとしている訳です。でも最後の仕上げに、必ずお客様に言わせなければならない一言があるのです。
「あー。面白かった」
つまり、現実に戻ってきて、こう言わせなきゃならない。そう云う意味では日渡は、大変、フィクション造りをなりわいとする内では失格者とも云えてしまうかも知れません。東京ディズニーランドのアトラクションに、お客様を連れて入って行って、出て来たら、頭数が足りなかった・・・というのと同じです。
(『ぼく地球を守って』9巻 わずか1/4のたわごと その4)

日渡がなぜこんな文章をわざわざマンガの単行本の中にこんな文章を載せたかというと、いわゆる「前世症候群(戦士症候群)」という問題が起こったためですね。若い人にはピンと来ないかもしれませんが、今で言うなら邪気眼とか中二病に近いニュアンスかな。まあそれはともかく、フィクションの功徳と禁忌についての至言だと思います。


仏法もしかりで、信仰に救いを求めるのはけっこうだけど、極楽浄土に行ったきりじゃダメで必ず現世に戻ってくることが大事だと思います。善導大師の発願文に「彼の国(極楽浄土)に到りおわって、六神通を得て、十方界にかえって苦の衆生を救摂せん。」とあるのもそういうことだと思っています。