封神演義

封神演義(ほうしんえんぎ)」という古典がある。「三国志演義」「西遊記」「水滸伝」などとならぶ中国明代に成立した娯楽文学のひとつだ。10年ほど前に週刊少年ジャンプ連載の藤崎竜のマンガで割と有名になった (もっともあのマンガはアレンジというよりもはや原作とは別物だが。)。しかし、もともと「三国志演義」「西遊記」「水滸伝」に比べればマイナーな作品である。安能務の訳が講談社文庫で出るまでは日本ではほとんど知られていなかったのではなかろうか。(藤崎竜のマンガも安能務訳を原作に挙げている。どこがやねんといいたいが。)
マイナーである理由はやはり小説としての出来がイマイチなせいか。原書を読んだわけではないのでひょっとしたら安能務の訳が不味いだけなのかもしれないが、とにかく読み辛い。序盤はまだしもドラマ性があって面白いが、中盤以降はひたすら新キャラ登場→戦闘の繰り返し。「西遊記」の後半もそんな感じだが、あちらはまだしもドラマ性がある。「封神演義」はやはり「三国志演義」「西遊記」「水滸伝」からは一段落ちるというべきか。
その「封神演義」、内容はというと紀元前11世紀の殷周易姓革命の史実をベースに道教・神仙思想の世界観をミックスしたファンタジー小説である。しかしここではてな? 道教老荘思想を源流とすると言われるが、老荘思想の開祖である老子荘子は殷周易姓革命よりも数百年後の春秋・戦国時代の人。まして組織的な宗教としての道教は殷周易姓革命より千年以上後の紀元2世紀ごろの成立である。まあ、神仙などというのはもともとファンタジーの世界に属するものであって、歴史的な考証をまじえることに意味はないかもしれないが、史実の殷周易姓革命の時代、まだそういうファンタジーの世界観自体が持たれていなかったのである。
ハチャメチャなファンタジーという点では、オリジナルの「封神演義」も、藤崎竜のマンガ版にひけをとらない気がする。そしてそれが「封神演義」の面白さのひとつであろう。