ショーグネイト

今年の大河ドラマ義経」は、鎌倉幕府成立前夜の物語だけれども、「鎌倉幕府」って海外ではどの程度知られているんだろう? まず「幕府」っていう日本特有の概念は理解されているんだろうか? 英語では「幕府」はなぜか"shogunate"と訳されているようだ。以下にWIKIPEDIAの"Kamakura shogunate"(http://en.wikipedia.org/wiki/Kamakura_shogunate)を訳す。わりとふつうな解説。

カマクラ・ショーグネイトは、1185年から1333年まで、ショーグンによって支配された封建的な軍事独裁体制です。 カマクラに本拠地を置いていたので、この時代はショーグネイトの首都から名前をとってカマクラ時代と呼ばれています。
カマクラ・ショーグネイトが設立される前は、もともと日本の権力は支配者であるエンペラー(天皇)とそのリージェント(摂政)たちに握られていました。 軍事は文官政府の下で統制されていました。 しかしゲンペイ戦争タイラ氏族が敗れた後、ミナモト・ノ・ヨリトモが1185年に権力を掌握して、日本の事実上の支配者になりました。 彼は政治の軍事的側面の優先を主張し、1192年にショーグンの称号を与えられました。 こうして彼が設立した政治機構はショーグネイトとして正式なものとなりました。
日本の州は新しいシュゴのもとで半自治になりました。 シュゴはダイミョーの前身です。 シュゴはそれぞれの州の有力な家系から選ばれるか、あるいは功績あった司令官とその家系にその称号が与えられました。 シュゴは自分で州を運営していましたが、理論上はまだショーグンへの忠誠によって中央政府に義務を負っていました。
ヨリトモの死後に、ホージョー・トキマサ (ヨリトモの未亡人ホージョー・マサコの氏族の長であり、ヨリトモのもとの保護者)がヨリトモの息子ミナモト・ノ・ヨリイエリージェント(執権)の称号を主張しました。 結局、リージェントの称号はホージョー氏族に代々受け継がれることになりました。 ミナモトはヨリトモの後2代のあいだ有名無実のショーグンにとどまり、実権はホージョーが握りました。こうして有名無実のエンペラーと操り人形のショーグンを通してホージョーが日本を支配するようになりました。
エンペラーはこのような状況を逆行させることを1221年の反乱(ジョーキュー戦争)で試みましたが、、ショーグネイトから権力をもぎ取ることに失敗しました。 これによりショーグネイトにおけるホージョー家の権力掌握は固まり、ショーグンの称号の継承者を選ぶようにまでなりました。 ジョーキュー戦争後、ショーグン職はまず貴族のジョーの者が任命されるようになり、後には皇族が任命されるようになりました。これがカマクラ・ショーグネイトの終わりまで続きました。
朝廷による2度目の反攻の試みは、1331年にエンペラー・ゴダイゴの命令のもとにおこなわれました。 この2度目の試みは、カマクラの最も有力な司令官であるアシカガ・タカウジがエンペラーに味方することを選んだため、1度目よりずっとうまくいきました。 カマクラ・ショーグネイトは、ホージョー家の敗北と壊滅により、1333年に終わりを迎えました。 しかしこの勝利は短命でした。 というのも、アシカガ・タカウジはすぐにみずからショーグンの地位につき、アシカガ・ショーグネイトを設立したのです。