瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ
崇徳院
【歌意】川の流れが速く岩にせき止められた急流が二つに分かれてしまってもまた下流で一つになるように、
ふたりの仲がさかれても最後にはきっとまた一緒になりましょう。
ぼくは上方落語を子守唄のようにして育った。上方落語の一つ「崇徳院」にこの和歌が出てくるので、僕は物心つく頃すでにこの和歌を覚えていた。もっとも歌の意味が分かるようになったのはずっと後になってからのことだが。
ロマンティックな歌だが、作者の崇徳院(崇徳上皇)はかの後白河法皇の兄。保元の乱で弟の後白河と争って敗れ、隠岐島に島流しとなる。朝廷を恨んだ崇徳院は「日本国の大魔王となり、皇をとって民となし、民を皇となさん」と、朝廷への呪いの言葉を残して死んだという。
保元の乱の勝利者、後白河法皇&平清盛らの天下もそれから半世紀を経ずして源氏に敗れ、京の朝廷の世から鎌倉幕府の世に移った。朝廷の復権を図った後鳥羽上皇は承久の乱で幕府に敗れ、かつて崇徳院が流された隠岐島に島流しとなった。「皇をとって民となし、民を皇となさん」という崇徳院の朝廷転覆の呪いが実現されたかのようだ。
そんな悲憤と怨念の人 崇徳院だが、百人一首に収められたこの歌には、そんなネガティブさは微塵も感じられない。若き日に詠んだ歌なんだろうか? とてもロマンティックな一途な恋の歌だ。
ところで、ぼくはこの歌から、ベートーベンの第九の一節を連想する。
Deine Zauber binden wieder, was die Mode streng geteilt.
【訳】世の流れによって強く引き離されたものを、あなたの魔法が再び結びあわせる。