アバター

昨日の日記に関して、六賢者のお一人とshagaくんからコメントをいただいたので、あらためてJR王寺教とは何だったのかな? と考え直しました。


【要旨】



JR王寺教は、初期・中期・末期でかなり思想に変化がありますが、いちおう大乗仏教の一派です。中期(高校時代)の特徴は、真言密教をコアに天台や中観や唯識などを総合した中世顕密的な仏教だったという点です。真言密教がコアなので、最高神大日如来です。
そして、本地垂迹(ほんじすいじゃく)説にもとづき、さまざまなマンガやアニメのキャラが大日如来の化身(アバター)であると唱えられました。これがJR王寺教の最大の特色ですね。で、その中でも代表的なのが、昨日の日記に書いたポリアンナベルダンディーミンキーモモや、3×3EYESのパールバティーなどです。

shagaくんのコメント 『モモとベルダンディーの神秘性は少々異なるような気がします。モモは成長を司り、ベルダンディーは母性を司るような感じがします。』

は、まさにその通りです。大日如来には金剛界胎蔵界の両面があります。悟りへの道筋を表すのが金剛界で、慈悲の広がりを表すのが胎蔵界です。モモは金剛界大日如来の化身、ベルダンディー胎蔵界大日如来の化身です。

六賢者のお一人のコメント 『ベルさまっも最初の方は表情豊かに、ある種コミカルに振る舞ってらしたんですけどね。ウルド、スクルド、ペイオースたちがベルさまっのそういう人間的な所を演じるようになってしまいましたから、結局残ったのはあまりにも大きな愛の化身である女神さま、という役回りで、(中略)たとえ笑ってらしても、あれは無表情というものですよね。(中略) 特にスクルドの存在は大きいなあ。(後略) 』

金剛界的な面はほぼスクルドが担うようになり、ベルダンディー胎蔵界の面に純化したと考えています。ただ、あまりに慈悲の面に純化してしまったために、キャラの幅がせばまり、抽象的な存在になってしまったのが悲しいです。人間味があってこその化身なのに。
ちなみにベルダンディーの中の人は、JR王寺教では現人神とされてました。世間一般では「17歳教」の教祖とされてますが。