機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者

今日は有休。午前中は心斎橋まで足をのばす。ツギハギ映画を観に。
ツギハギ映画というのは、「機動戦士Zガンダム A New Transrlation 星を継ぐ者」である。「Zガンダム」という20年も前のテレビアニメを再編集し、新作カットを追加して録音し直すという、ふつうでは考えられない映画である。テレビシリーズ全50話を3部作にまとめた、今回はその第一部。はっきりいって正気の沙汰ではない。よく制作のゴーサインが出たものだ。トミノ御大だからこそ許される所業である。まあ、つくる方もつくる方なら観にいく方も観にいく方ではある。平日の昼間だというのに結構はいっている。当然ながらいい大人ばっかり。
Zガンダム」は名作だが、20前にあくまでテレビアニメとして制作された作品である。劇場アニメと毎週1本のテレビアニメではおのずと作画のレベルが違うものであるし、アスペクト比も違う(4:3と16:9)。なにより20年という年月による技術の差が著しい。今見ても当時の気合が感じられるが、いかんせんアラと歪みの多い、そして経年変化した20年前のフィルム。現在のデジタル技術でつくられた気合入りまくりの超美麗な新作カット。もとより違和感なく混ざるはずがない。なんとかマッチングさせるために、旧作カットにはデジタル処理でフィルタリングや色調補正をかけ、デジタル作画の新作カットにはあえてフィルム的な粒子ノイズをかけている。僕はいまどきのやたらクッキリ、パキパキしたデジタル作画がすきではないので、むしろ適度にノイズがかかった映像は自然な感じがして良かったと思う。しかしそれでも旧作カットと新作カットの差は歴然。
話の方はというと、テレビシリーズのやたら暗くて共感を拒絶するかのようなキ○ガイじみた雰囲気が影を潜め、イヤな感じなしに見られるエンターテイメントに仕上がっている。トミノ御大特有のワケわかんないセリフ回しも控えめだ。(一時期は「死ねよやー!」とか「立ちませ!」とかそれはもうスゴかった。) トミノ御大らしからぬ気の利いたセリフも混ざっている。しかし相変わらずクドイ説明セリフも多い。人物描写は奥は深いのだが描写が淡白、悪く言えば舌足らず。ただでさえ登場人物がやたら多くて複雑なストーリーを映画の尺に詰めているので、初代ガンダムZガンダムを全く知らない人にはついてこれないかもしれない。(もっともこの映画を観に来る人にそんな奴はいないだろうが。)
今回の第一部のストーリーの骨子は「シャアらの起こした反政府運動に、かつての宿敵であったアムロやブライトら旧ホワイトベースのメンバーらが合流。主人公カミーユやエマといった新しいメンバーも加わる」といったところか。それならアムロやブライトやカミーユやエマらの心の動きにもう少しフォーカスすべきだったのではないか? ライラやシロッコなんかは中途半端に出すくらいならむしろすっぱり切った方が良かったのではないか? あまりに大河的で、1時間半の映画にしてはストーリーのピントがぼけ、起承転結に欠いたきらいがある。一個の独立した映画としては評価しがたい。
しかしまあ、新作カットは文句なしに素晴らしかった。これを見られただけでもZガンダムファンとしては満足である。だいたい作り手に思い入れがなければ作品なんて作れないわけで、20年の時を経てこんな映画がつくられる「Zガンダム」という作品はやはりすごいと思う。
そして僕的にはあのセリフがあったことに狂喜。よもやあのセリフが切られずに映画の尺の中に残されるとは! そのセリフとはズバリ、
アメリアー!!」 (誰だが不明な女の名を叫んで散るおっさんカクリコン)