『異邦人』のフランス語

カミュの『異邦人』は、一般的には不条理小説と呼ばれるが、何が不条理なのかよく分からない。不条理というならキリスト教徒側(判事や司祭)の言ってることのほうがよほど不条理で滑稽に思える。

文章じたいは簡潔なので、フランス語まったく知らないけど拾い読みしてみる。

(1) 裁判での判事との対話より

Mais il m'a coupé et m'a exhorté une dernière fois, dressé de toute sa hauteur, en me demandant si je croyais en Dieu. J'ai répondu que non. Il s'est assis avec indignation.


  • 現代フランス語では過去形(単純過去)はめったに使われず、複合過去(英語の現在完了形に相当する形)が過去の表現として最もよく使われる。
  • 複合過去の助動詞には avoir (英語の have に相当) と être (英語の be に相当) があり、多くの動詞は avoir を用いるが、動きや移動などを表すいくつかの動詞には être を用いる。
  • 助動詞が être の場合は、過去分詞は主語と性数一致させる。
  • 語順は基本的にはSVOだが、目的語が代名詞の場合は動詞の前に置く。
  • avoir や être のような母音で始まる動詞は代名詞のエリジオン(母音脱落)に注意。
  • 間接話法では時制の一致があるが英語と少し違う。主節の時制が複合過去であれば、従属節の時制は現在→半過去になる。
  • dresser(立ち上がる)、asseoir (座る)などは再帰動詞で、主語自身を目的語にとる。また、動きを表す動詞なので、複合過去には être を用いる。
  • 「en + 現在分詞」の形をジェロンディフといい副詞句をなす。英語の「前置詞+動名詞」の構文に相当する。
  • 過去分詞構文は受け身の意味になるので、主文の主語が過去分詞の目的語となる。ただし、再帰動詞の場合は主文の主語=過去分詞の目的語=過去分詞の主語でもある。

神を信じるか信じないかは本件(殺人事件)の裁判とは無関係であり、わけの分からないことを言ってるのは判事のほうである。

(2) 裁判での判事との対話より

"Moi, je suis chrétien. Je demande pardon de tes fautes à celui-là. Comment peux-tu ne pas croire qu'il a souffert pour toi ?" J'ai bien remarqué qu'il me tutoyait, mais j'en avais assez.


  • 二人称は、親称(tu-te-te-toi)と敬称(vous-vous-vous-vous)の区別がある。
  • celui-là は遠称(that one)、celui-ci は近称(this one)。ただし、性数の区別がある。
  • フランス語は平叙文の語順のままで疑問文にできるが、倒置するときは動詞と主語をハイフンでつなぐ。(主語が代名詞の場合)
  • pouvoir は英語の can に相当するが、フランス語では準助動詞と呼ばれる。
  • ne peux-tu pas croire だと can't you believe「信じられないのですか」(助動詞の否定) だが、
    peux-tu ne pas croire だと can you not believe「信じないでおれるのですか」(不定詞の否定)になる。
  • 半過去は未完了相・継続相を表し、複合過去は完了相を表す。そもそも、日本では「半過去」と呼んでいるが、フランス語/英語では imparfait / imperfect であり、「未完了」の意味。

ローマ帝国にとってはナザレのイエスという男のことなど眼中に無かった。彼は辺境の部族の無名の活動家にすぎなかった。民衆の支持を得られなかったこの哀れな男の処刑が、人類の罪を贖うための受難であったなどとはまったく理解に苦しむ。そんな話をどうして信じるられるのかが不思議でならない。

(3) 独房での司祭との対話より

"Non, je ne peux pas vous croire. Je suis sûr qu'il vous est arrivé de souhaiter une autre vie. " Je lui ai répondu que naturellement, mais cela n'avait pas plus d'importance que de souhaiter d'être riche, de nager très vite ou d'avoir une bouche mieux faite. C'était du même ordre.


  • 「de + 不定詞」の形は、英語の to不定詞に相当する。
  • 「il est 補語 de 不定詞」の構文では、il は仮主語であり不定詞が意味上の主語となる。英語の「it is 補語 to不定詞」の構文に相当する。
  • 否定文では動詞を ne と pas ではさむ。
  • 「plus 形容詞 que ~」で比較表現になる。英語の「more 形容詞 than ~」に相当する。英語の -er のような比較級を示す語尾はない。
  • 「de + 名詞」で名詞を形容詞化する。

来世で天国に行きたいと願うのも、現世で金持ちになりたいと願うのも、同レベルの煩悩にすぎない。

この箇所、窪田啓作訳では une autre vie (= another life) を「もう一つの生活」と訳していて何のことか分かりにくくなっている。敬虔な神父サマがまさか『ゼロの焦点』みたいな二重生活をお望みなわけないし、文脈から「来世」の意味だろうと思う。「来世」という訳語がキリスト教的に適切かどうかは分からないけど。