自分を軸に書いてみた

自分を軸に書きはじめようのお題に僕も妄想力全開でチャレンジ。 ...て、趣旨に反してほとんど短編小説みたいになってしまいましたが。



それはある月夜のことだった。麓の街で終電を降りた僕は、山手にある自宅へと帰る道を歩いていた。山手へ登る道は道幅も狭い旧道で、この時間には通る車も少なかった。そして最初の曲がり角にさしかかると、とたんにあたりは暗くなり、月明かりだけがたよりとなった。
『こんな時間にここを通るのは初めてだけど、ほんとに薄気味悪い。』
ここいらの山すそ一帯は、戦後になって急速に宅地化が進んだのだが、なぜかこの一角だけは宅地化されず、竹やぶと沼が残っていた。街灯もないので、夜になると暗くて薄気味悪い。そのうえ、このあたりは昔から変死者や事故死者が多いと言われている。幽霊が出るとかなんとか、そういうお定まりの怪談話がまことしやかに噂されている。だけど、こんなに暗くて急な曲がり角なんだから事故が多くても不思議ではない。そう思っていた。いまどき幽霊なんて滅多にお目にかかれるものではない、と思っていた。
ふいにヒュウと、冷たい風が僕の首筋をなでた。振り向くと、桜文様の小袖を着た、若い娘の姿があった。夜目にも能面のように白い眉目は麗しく、長い黒髪は月明かりをうけて艶やかに輝いていた。娘はこちらを向いてかすかに笑みうかべた。それはもうこの世の者とは思えない美しさで、思わず我を忘れ、妖かしの蠱惑に魅入られそうになった。が、すんでのとことでハッと我にかえった。
『ちがう!ちがう!こいつはどう考えても幽鬼怨霊のたぐいだ!』
僕は右腕の義手に仕込んだセミオートの銃口を開くや、銀の弾丸を放った。
しかし娘は、その白く細い指先で弾丸を受け止めた。娘はニコリと笑った。
一瞬後、娘は髪を振り乱し、般若のごとき形相の鬼女(きじょ)と化し、獣のような爪をのばして、僕に襲い掛かってきた。
僕はうろたえつつも、印を結んで不動明王真言を唱えた。
「namah samanta vajranan candamaharosana sphotaya hum trat ham mam!」
僕は真言の法力を盾にして鬼女の攻撃を防ぎ、ひたすら真言を唱え続けて鬼女の妖力を押し返した。僕の法力と鬼女の妖力がせめぎあった。
なんたび真言を唱えたことだろう、さしもの鬼女も不動明王の威力には負けたのか、うなじを垂れて、もとの美しい娘の姿に戻った。
僕は法力を解いて娘に尋ねた。
「山姫(やまひめ)よ、あなたがこの地に巣くい、人にあだなす者か?」
僕が力まかせに折伏(しゃくぶく)・退治するつもりがないのを見ると、娘は観念した様子で語った。
「わたしは遠い昔、ひとに恨みを抱いたまま、ここの沼に身を沈めた者。以来、恨みは解けぬまま、浅ましき鬼女の姿に成り果てて、人と見れば憎しみに駆られてとり殺してまいりました。どうか仏門のかた、この身の恨みをお聞きください。」
娘はそう言うと、遠い日のことを物語った。
彼女の話から推測すると、おそらく時は鎌倉時代のはじめだろう。彼女はこの地の富農の家に生まれた一人娘だったらしい。昔を話す彼女の顔は、とても幽鬼怨霊のものとはおもえぬ穏やかなものだった。きっと器量よしで優しい心根の娘だったのだろう。
だが、こんな山あいの寒村にも時代の火の粉が飛んできた。平家の落ち武者が一人、この山に逃れてきたのだ。落ち武者を見つけたのは彼女だった。心優しい彼女はその男を山奥のお堂にかくまい、傷の手当てをし、食べ物を与えた。男は彼女に感謝し、心から礼を言った。男はどこか雅な気品と、もののふの覇気を兼ね備えた、容姿端麗な若者だった。
彼女は最初はただ親切から男をかくまったのだろう。だけどそのうち彼女はこの男に恋心を抱くようになったようだ。でもそれは報われぬ恋だった。男の心を占めていたのは、いくさで妻を亡くした悲しみと、源氏の世に一矢報いたいという、もののふの気概だけだった。彼女がどれだけ身を尽くしても、男の心に入り込む余地はなかった。男はただただ彼女に感謝の言葉をくりかえすだけだった。
「あの人から礼の言葉を聞くだびに、わたしの心は張り裂けそうになりました。」
と彼女は言った。
やがてこの地にも平家残党狩りの追っ手がきた。彼らが追っているのは、一人の平家ゆかりの公達(きんだち)だった。紙に描かれたその絵姿は、まさしくあの男のものだった。驚いた彼女は、ひそかに男のもとに行き、「いっしょに逃げましょう」と言った。それは彼女の、その身を賭けた最後の懇願だったのだろう。しかし男は受け入れなかった。男はこれまでの彼女の厚意に重ねて謝し、
「そなたを巻き込むわけにはいかぬから、もう二度とここには来ないでほしい。」
と言った。
それはもののふとしての矜持と優しさだったのだろう。だけどその結果、彼女の心は引き裂かれた。恋焦がれるあまり、その想いは恨みと狂気に変わったのではないかと思う。
「どうせわたしのものにならないのなら、いっそ・・・」
と、彼女は男を追っ手に売った。
彼女に手引きされた追っ手の兵たちは、男の隠れるお堂を取り囲んだ。男は血路を開かんと打って出たが、武勇空しく取り押さえられ、その場で斬首された。愛する男の首級をその目で見た彼女がどんな気持ちだったか、僕には想像もつかない。彼女は懸賞金の小判四枚を受け取ると、そのままおぼつかない足取りで山を歩き、ここの沼に身を沈めて事切れたらしい。
それ以来、恨みに囚われて怨霊と化した彼女は、人を見ればとり殺す鬼女になったのだという。あまりに悲しい話だと思った。
「身勝手な恋の執念です。」
と彼女は言った。
だけど、彼女のことを身勝手だなどと言えるのは、どこの聖人君子だろう?
「ここで僕がめぐりあったのは、きっと御仏のおはからいでしょう。」
僕は彼女の因業消滅を祈り、観音経を唱えた。「衆怨悉退散」の5文字のところに至って、彼女の身から怨念の妖気が消え、清浄な慈悲の光に包まれた。観音菩薩の慈悲によって彼女は怨念を離れ、御仏のもとへ導かれた。
成仏し昇天していく彼女に僕は言った。
「あなたは長い長い悪夢にうなされてきた。あなたには修羅悪鬼の道より、浄土の安らぎのほうがふさわしい。」
彼女は「ありがとう」と言うと、御仏の光の中へ消えた。僕が最後に見た彼女は、まるで女神さまのような、美しく優しく温かい微笑みをたたえていた。
彼女が消えたあとには四枚の小判が落ちていた。錆びることも朽ちることもなく、長い時を経てなお金色を留めるそれは彼女の悲しい恋の証のように思えた。
「さて、帰るとするか。」
少しだけ功徳を積んだ僕は、少しだけ世界が優しくなったのを感じながら我が家へ帰った。

執筆・校正時間 計約8時間 ...疲れた。