ビザンツ帝国の領土の変遷
- ローマ帝国の東半分(395-533頃)
- 地中海の覇者(533-698頃)
- 地中海北東の強国(698-1071頃)
- バルカンとアナトリアの国(1071頃-1204)
- エーゲ海の小国(1204-1453)
五大総主教座
- 395年の帝国東西分裂の時点では五大総主教座のうちローマ以外の4つは東方の領土
- 535–554年のゴート戦争でユスティニアヌス大帝(笑)がローマを奪って5つ全部ゲット
- 602-628年のササン朝との戦争で中東の3つを一時的に奪われるがヘラクレイオス1世が奪還
- そのヘラクレイオス1世も636年のヤルムークの戦いでイスラムに敗れ、中東の3つを相次いで奪われる
- ランゴバルド、次いでフランクにローマを奪われ、756年のピピンの寄進によりローマ教皇が自立
- 969年、マケドニア朝のニケフォロス2世がアンティオキアをイスラムから奪還
- 1084年、コムネノス朝のアレクシオス1世がアンティオキアをセルジューク朝に奪われる
- 1453年、オスマン帝国のメフメト2世によってコンスタンティノープル陥落
主要な王朝と皇帝
■レオ朝 (457 - 518)
ゼノン:西方に介入。ゲルマン人のオドアケルやテオドリックにイタリア統治を委任(建前)。
■ユスティニアヌス朝 (518 - 602)
ユスティニアヌス大帝(笑):イタリアと北アフリカを再征服。ササン朝のホスロー1世とも戦う。『ローマ法大全』を編纂。
■ヘラクレイオス朝 (610 - 711)
ヘラクレイオス:ササン朝に勝利するもイスラムの侵攻を受けシリアを失う。公用語をラテン語からギリシャ語に。
■イサウリア朝 (717 - 802)
レオーン3世:イスラムの侵攻を退ける。聖像禁止令を出す。
■マケドニア朝 (867 - 1057)
バシレイオス1世:マケドニアのアルメニア系農民から皇帝に成り上がる。
バシレイオス2世:第一次ブルガリア帝国を滅ぼし、バルカン半島全土の支配を回復。通称「ブルガリア人殺し」。
■コムネノス朝 (1081 - 1185)
アレクシオス1世:ローマ教皇ウルバヌス2世に援軍を要請し、第1回十字軍を招いてしまう。
■アンゲロス朝 (1185 - 1204)
全員無能。第4回十字軍に帝都を奪われ滅亡。
■パレオロゴス朝 (1261 - 1453)
ミカエル8世:帝都を奪回して帝国を再興。
コンスタンティノス11世:オスマン朝のメフメト2世により帝都陥落。帝国滅亡。