歴史の中央と周縁 その1

16世紀以降のアジアの歴史は、周縁民族(主として遊牧民族)が定住民族の文明の前に敗北したことによって決定されたように思う。厳密には最後の遊牧国家ジュンガルが滅びるのは1758年だが、これにより康熙・雍正・乾隆の3代にわたる清帝国の版図拡大が完成し、アジアは清、ムガールペルシャオスマントルコの4大帝国とその属国の版図によって埋め尽くされ、周縁は消滅した。
このことによってアジアでは帝国的秩序が固定化・硬直化する。それまでのアジアの歴史の流動性・力動性は周縁民族の力によるところが大きかった。古い帝国秩序に軋轢が生じると周縁の民族が中央におどり出てきて混乱期をむかえ、その中から新たな帝国秩序が再編された。
たとえば塞外(万里の長城の外)の諸民族を支配していた漢帝国がその内部腐敗によって瓦解し、三国・魏・晋にいたって世界帝国としての力を失うと、匈奴をはじめとする五胡といわれる周縁異民族が華北に侵入し、300年にわたる乱世がもたらされた。そして最終的には北朝=異民族の剛健な文明と、南朝=漢民族の優雅な文明が融合し、隋・唐帝国という新たな帝国秩序が形成された。
つまり周縁民族は中央の帝国秩序を再活性化する働きをになってきたわけである。周縁の消滅と4大帝国の完成は、アジア最後の繁栄であるとともにアジアのゆきづまりであり、閉鎖的・専制的な帝国秩序によって時代の流れが止まってしまったアジアはヨーロッパに追い抜かれ、やがてその侵略を受けることになった。