門跡

門跡(もんぜき)とは本来は一門を統括する寺院ないしその住職を指していましたが、時代が下るにつれて皇族や貴族らの子弟が出家して住職を務める寺院ないしその本人を指すようになりました。室町時代ごろから門跡は寺の格付けとして最高クラスとなりました。

  1. 宮(みや)門跡:皇子が住職になる
  2. 尼(あま)門跡:皇女が住職になる…当然ながら尼寺
  3. 摂家(せっけ)門跡:摂家(藤原氏本流の5家)の子弟が住職となる
  4. 清華(せいが)門跡:清華家(摂家に次ぐ家格の公家)の子弟が住職となる
  5. 公方(くぼう)門跡:武家の子弟が住職になる??? (よく知りません)
  6. 准門跡:門跡に準じる格式

僕の地元 奈良には藤原氏の氏寺である興福寺があります。今は奈良公園の中にあるただの観光地ですが、中世には絶大な権力を有しており、平安後期から室町時代にかけて奈良県の事実上の支配者でした。鎌倉幕府は全国に守護を置きましたが、大和国(奈良県)には武家の守護を置くことができず、興福寺大和国守護に任命しました。これは室町幕府の時代にもつづきます。

興福寺には一乗院大乗院という二つの門跡寺院がありました。いうまでもなく両院とも摂家門跡です。一乗院は近衛家鷹司家が、大乗院は九条家一条家二条家が門跡を出しました。興福寺別当(べっとう)(興福寺でいちばんえらい人)は一乗院と大乗院が交互に出しました。つまり、一乗院と大乗院の門跡である藤原五摂家奈良県の支配者だったわけです。

絶大な権力をもった興福寺も戦国時代にその力を失い、江戸時代には寺領2万5千石の小大名クラスの領主となりました。さらに明治時代になって廃仏毀釈の政策により、寺領は没収され、広大な境内は現在の奈良公園となりました。かつて栄華を誇った一乗院や大乗院の門跡も廃されてしまいました。

現在、奈良の大和三門跡といえば、中宮寺法華寺、円照寺。すべて尼寺です。
ちなみに三島由紀夫『春の雪』に出てくる奈良の門跡 月修寺はたぶん(地理的な記述から言って)円照寺がモデルでしょうね。
映画化(http://harunoyuki.jp/)されてもうすぐ公開らしいですが、やはり円照寺でロケしたようです。...でも円照寺って拝観できないんですよねえ。