旧暦で新年会

昨日の2006年1月29日は、旧暦の元旦 ( 旧正月春節 ) にあたる。だからというわけではないけれど、機械研OB会関西支部(?)の新年会が開かれた。関西で働くエンジニア/プログラマーと院生 ( 工学/情報学 ) のあつまりなので、しぜんと業界の話や仕事の話になる。こういう、仕事以外でのご同業のつながりというのはとても貴重なものだと思う。
まあ、エンジニアリングな話題に終始したわけではない。とくにNくんとは久しぶりにオフラインで哲学的議論ができた。



浄土真宗のNくんがハイデガーについて語ったのには驚いた。浄土真宗ハイデガーってかなり相容れないものがあると僕は思っていたので。
ハイデガーの哲学は、『人間には「死」というタイムリミットがある。「死」を自覚することで、人間は死ぬまでの限られた時間を自分らしく生きることができる。』というものだと僕は解釈している。( 浅薄な解釈だと思うが。) それに対して浄土真宗は、『阿弥陀さまの本願によって、人間は死んだら極楽浄土へいける。』という宗教。死生観が相容れないように思うのだ。

Nくんは仏教の悟り=涅槃 (「縁起」を悟り「苦」を超越すること) をハイデガーの「本来的な在り方」と結びつけて考えているようだ。それは分からなくもないのだが、やはり浄土真宗の「極楽往生」に結びつけるのには飛躍があると思う。

そもそも「浄土三部経」を経典とする浄土系の宗派 ( 浄土真宗、浄土宗、時宗融通念仏宗など ) は本来の釈迦の教えからかけ離れている。だからといって邪教だとかいうつもりは毛頭ない。浄土の教えは釈迦の死後500年くらいたってから北インドあたりで起こり、中国をへて日本で独自の展開をとげた偉大な宗教であると思う。ただ、釈迦本来の教え( 原始仏教 ) とは別物。そもそも「阿弥陀如来」とか「極楽浄土」とかいう概念は釈迦の時代にはまだ無かったのだから。