有時

道元禅師『正法眼蔵』の「有時」の巻に挑戦。


道元禅師という人には若い頃(十代後半〜二十台前半)に大きな影響を受けた。『正法眼蔵』の「現成公案」の巻は僕にとってまさにバイブルと言っていい。だけど実は道元禅師の主著『正法眼蔵』は「現成公案」「弁道話」くらいしか原文で読みこんだことはなかった。


だいたい『正法眼蔵』はあまりに長大な著作で内容も難解至極。質・量ともにベラボーな書物である。二十台半ばを過ぎた頃から知的関心の対象が宗教・哲学から歴史と言語学の方に重心をシフトしたこともあり、かの叡智の宝庫はほとんどが未読のままとなっている。


最近また道元禅師がマイブーム再燃してきているので、ここらでちょっと「有時」の巻でも読んでみようかなと。「有時」の巻は「現成公案」や「弁道話」なんかと並んで有名な巻だけど今まで全く読んだことがなかったので。


とりあえず、さらっと全文通して読んでみたけど、案の定さっぱりワケワカラン。『正法眼蔵』の難解さは、他の禅僧の著書、たとえば『無門関』などの難解さとは質が違う。『無門関』の難解さは、ハナから論理的に解釈不能な難解さだけど、『正法眼蔵』の難解さは先ずは哲学の難解さだと感じる。


さてさて、じっくり読み込んでいくとしよう。