SONG王朝

昨日は鎌倉時代について書いたが、鎌倉時代は中国で言うと南宋から元の時代である。宋王朝は英語では Song dynasty らしい。WIKIPEDIAの"Song Dynasty"の項(http://en.wikipedia.org/wiki/Song_Dynasty)を訳すと...

ソン王朝(宋朝)は960年〜1279年まで中国の支配的な王朝でした。 その設立により、907年のタン王朝(唐朝)の崩壊以来はじめて中国は再統一されました。 それまでの間(907〜960)は「5つの王朝と10の小王国の時代(五代十国)」と呼ばれており、北南に分裂し、頻繁に支配者が交代する時代でした。
ソン王朝は2つの期間に明確に分けられます。ノーザン・ソン(北宋)とサザン・ソン(南宋)です。 ノーザン・ソン(960年〜1127年)は、ソンの首都が北部の都市カイフォン(開封)に置かれていた時代で、王朝は中国全土を支配しました。 サザン・ソン(1127年〜1279年)は、ソンが中国北部の支配を、ジュルチェン民族(女真族)のチン王朝(金朝)に奪われた時代をさします。ソンの朝廷はヤンツィー川(揚子江)の南に後退し、首都はハンチョウ(杭州)に置かれました。

北のチン王朝は1234年にモンゴル民族に侵略されました。モンゴル民族はその後、中国北部を支配し、中国南部のサザン・ソン朝廷とは不安定な関係を保ちました。(モンゴル族の支配者であったモンギー(モンゲ・ハーン)が死んだという報告をクブライ・カーン(フビライ・ハーン)が受けたとき、早急に平和条約が締結されました。 クブライ・カーンは他のライバルから王位を奪い取るために本国に帰ったので、しばらくのあいだソンは攻められませんでした。)  モンゴル族ユアン王朝(元朝)の成立を1271年に宣言し、結局1279年にソン王朝を滅ぼし、再び中国を統一し、中国は大モンゴル帝国の一部となりました。