春の雪 アフター明治の憂国

「春の雪」は昨日の日記にも書いたような、ダメダメ貴族の不毛なラブストーリーがメインストーリーである。「春の雪」は王朝文学の「浜松中納言物語」を典拠にしてるというからさもありなんという感じである。王朝文学というのはだいたいダメダメ貴族どものダメダメ与太話だから。

だが「春の雪」は単なるダメダメ貴族ストーリーではなく、「明治という栄光の時代がおわり、日本がダメダメになっていく」という憂国のテーマがあるようだ。

主人公 松枝清顕の祖父は(本文から推測すると)、幕末の薩摩藩の下級武士で、明治維新で活躍し、侯爵の位に昇った明治の元勲である。むろん架空の人物であるが、下級武士から侯爵になったものは実際には10人あまりで、西郷隆盛井上馨桂太郎小村寿太郎東郷平八郎クラスの大物である。

・松枝侯爵の先代(清顕の祖父)は、その地(鹿児島)では豪宕な神と見做され
・松枝侯爵の先代(清顕の祖父)は、あのようなおそるべき膂力と情熱で、明治政府を打つ樹てることに貢献した
・あなた(清顕の祖父)は人を斬り、人に斬られかけ、あらゆる危険をのりこえて、新しい日本を創り上げ、創世の英雄にふさわしい位にのぼり、あらゆる権力を握った
・つい50年前までは素朴で剛健で貧しかった地方武士の家が、わずかの間に大をなし

そして明治時代、近代日本の一つのターニングポイントである日露戦争があり、清顕の二人の叔父が戦死してる。

・松枝一族では清顕の叔父が二人、そのとき(日露戦争)に戦死している。

まさに明治日本はサムライたちが血を流して築いた時代である。しかし清顕の父(松枝侯爵)は、そういうサムライの家柄を卑しいものだと感じ、雅びな貴族の世界に憧れ、我が子清顕を公家の家へ預けて育てた。

・父侯爵が、幕末にはまだ卑しかった家柄を恥じて、嫡子の清顕を、幼時、公家の家へ預けた。
・松枝侯爵は、自分の家に欠けている雅びにあこがれ、

そして父の望みどおりに、清顕は貴族的な青年に育つ。

・とめどない、無意味な、死ぬと思えば活き返り、衰えると見れば熾り、方向もなければ帰結もない「感情」のためだけに生きる
・清顕のその美貌、その優雅、その性格の優柔不断、その素朴さの欠如、その努力の放棄、その夢見がちな心性、その姿のよさ、そのしなやかな若さ、その傷つきやすい皮膚、その夢見るような長いまつげ

畳み掛けるように表現されているのは、清顕の貴族ぶり。平安時代さながらのデカダンスなダメダメ貴族ぶりである。
清顕は学習院に学び、東京帝国大学法学部に進むことを期待されているが、あまり勉強に熱心でない。また清顕は将来侯爵となれば自動的に貴族院議員となり国政に与る責任がある。なのに清顕は「国家有為の人材」たらんとする志をまるでもっていない。まさに平安ダメダメ貴族。そればかりか、清顕は明治のサムライの精神を嫌った。

学習院が院長乃木将軍のあのような殉死を、もっとも崇高な事件として学生の頭に植え付け、(中略)武張ったことのきらいな清顕は、学校に漲っている素朴で剛健な気風のゆえに学校を嫌った。

こうした清顕や松枝侯爵らのダメダメ貴族化に対し、清顕の祖母は反感を持つ。

・お前(清顕)の叔父さんたちが生きていたら、お父さんもこれほどの勝手はできまい。(中略)栄耀栄華もせずに戦死した子供たちのことを考えると、私はお前のお父さんたちと一緒になって浮かれ遊ぶ気持ちにはなれない。
・(清顕の祖母の声は)今は忘れたれた動乱の時代、下獄や死刑を誰も恐れず、生活のすぐかたわらに死と牢獄の匂いが寄せていたあの時代から響いてきていた。少なくとも祖母たちは、屍体の流れてくる川で、おちついて食器を洗っている主婦たちの時代に属していた。

また清顕の友人の本多や、書生の飯沼は、サムライの活躍した明治時代が終わってしまったことを語る。

・明治と共に、あの花々しい戦争の時代は終わってしまった。
・なぜ時代は下って今のようになったのでしょう。なぜ力と若さと野心と素朴が衰え、このような情けない世になったのでしょう。あなた(清顕の祖父)は人を斬り、人に斬られかけ、あらゆる危険をのりこえて、新しい日本を創り上げ、創世の英雄にふさわしい位にのぼり、あらゆる権力を握った末に、大往生を遂げられました。あなたの生きられたような時代は、どうしたら蘇るのでしょう。この軟弱な、情けない時代はいつまで続くのでしょう。いや、今始まったばかりなのでしょうか?(中略)男は男の道を忘れてしまいました。清らかな偉大な英雄と神の時代は、明治天皇崩御と共に滅びました。あれほど青年の精力が残る隈なく役立てられた時代は、もう二度と来ないのでありましょうか?

明治に偉大な近代国家建設を成し遂げた日本は、日露戦争の勝利という到達点をむかえ、やがて明治が終わり、時代は変わっていった。そんな時代の憂国の思いが「春の雪」のひとつのテーマだとおもう。なにしろ三島だし。

ところで、作中で清顕の友人の本多は多くの本を読んでいるが、その一冊が、
・北輝次郎著「国体論及び純正社会主義
 キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!
 北一輝です! 二・二六事件です! 国家社会主義です! 右翼です!