ビアズリー再論

去年の11/21の日記ビアズリーが嫌い、という内容の文章を書いたところ、ご不満のむきがあったようなので再論。



べつにビアズリーの芸術的価値を否定しているわけではない。ただ単に好きになれないだけ。そもそも絵というのは「どう感じるか」であって、「考えて分かる」とかいうようなものではないはず。僕はビアズリーを魅力的には感じられない。ただそれだけだ。

僕は端正で優美な絵が好き。たとえばラファエロの「小椅子の聖母」。調和と均整のとれた端正な筆づかいで、しかも柔らかな優しさに満ちている。まさにマリアさま!
ビアズリーの絵は端正でないし優美でもない。べつに画力がないと言っているのではない。ビアズリーの描線はとても洗練されているとは思う。むしろ不均衡で退廃的でグロテスクであることが彼の個性なのだと思う。その個性は認めるが好きにはなれない。僕の好みとは対極にあるといっていい。

話はかわって、江川達也東京大学物語』と藤島康介ああっ女神さまっ』を比較する。上の文章から分かると思うが、僕は江川嫌いで藤島好き。
藤島康介はもともと江川達也のアシスタント出身であり、じっさい画風にかなり似ている部分がある(あった)と思う。ただ江川には猥雑さやドロドロした部分があるのに対し、藤島の絵はそれを脱して、端正で優美。まさに女神さま! (最近の仕事はさすがにマンネリで凡庸すぎると思うが)。
おそらく江川は、藤島の描くような幸せいっぱいのおとぎ話が嫌いなのだろう。そしてそういうものに依存する他力本願な読者の姿勢が嫌いなのだろう。まあ、言いたいことは分かる。だからといって、江川の描くような猥雑で露悪的で鬱陶しいマンガは僕は好きになれない。

要するに、僕が絵に求めるのは端正さと優美さであり、女神さま(マリアさまや観音さまなども含む)はその究極のモティーフ。ビアズリーの描く妖女サロメはその対極にある退廃美。まあ、趣味に合わないということで。