心のかたち 人のかたち

shagaくん曰く 『ACUVUEのCMで使われているコピー「本当の私、デビュー」は、メガネをかけないことをアイデンティティのより所としている、なんて大袈裟なものじゃないと思う。本当は「素顔の私、(再)デビュー」としたかったのではなかろうか。少なくとも、メガネをかけた状態は「素」であるとは言い難い。コンタクトレンズは、メガネに比べるとその存在が目立たず、見た目では「素」に近い状態を実現する。』

うん、たしかに僕は物事をむやみに哲学的に考えるクセがありますね。
ただ、「素顔」と「本当の私の顔」とは違うと思います。僕もメガネをかけていますが、メガネをかけた顔とメガネをかけてない顔のどちらが本当の自分の顔かと言われたら、僕はむしろメガネをかけた顔のほうが本当の自分の顔だと感じます。



人間は他の動物と違って、素っ裸で生活しているのではありません。服を着て、メガネをかけて、化粧をして、自転車に乗って、ケータイで話して……。人間の自我というものは、生体としての身体の境界を越えて外部に拡張されています。メガネは僕にとって体の一部です。自転車も僕にとって体の一部です。自転車に乗っているとき、僕はタイヤで路面の感触を感じます。生体的には腕や足を介して感じているのですが、心理的には直接タイヤで感じています。このとき僕の自我はタイヤまで延長されているのです。

背中に耳をぴっと付けて抱きしめた
境界線みたいな体がじゃまだね

なんていう歌がありました。( 1/2 /川本真琴/るろうに剣心 )  文字通り「身も心も一つに」っていう感じですが、ふだんの社会生活では、僕らは自我の境界線をもって人と接しています。境界線を失ったら、人としての形(人格)が溶けてしまいます。
エヴァ』第20話「心のかたち 人のかたち」では、シンジの体が「自我境界線」を失って赤い水に溶けてしまいますが、これはSF的な比喩表現だと思います。



しかし、「メガネっ娘」で、なんでこんな真剣な議論になるんだろう???