川本真琴の詞に顕著なのは
- 「あたし」対「あなた」の関係
- 「恋」「愛」「キス」「抱」などの語句が頻出
- キリスト教的用語、特に「神様」という単語が頻出
- 肉体の呪縛を脱した「あたし」と「あなた」の融合
このうち①と②は、「恋愛」という、詩歌において最も普遍的なテーマを扱ってるのだから当然といえば当然である。問題は③と④である。
③について。川本真琴の詞は反キリスト教、あるいは異端的キリスト教の匂いがする。その最たるものが「神様は何も禁止なんかしてない」(1/2)だ。中世ヨーロッパでこんなことを言ったら、異端審問で拷問のうえ火あぶりで処刑されただろう。現代でもアメリカ南部でこんな歌を歌ったら、保守的キリスト教団体から批判されるかもしれない。
キリスト教・ユダヤ教・イスラム教において「神」とは「禁止する神」なのである。人間の原罪とはアダムとエヴァが神の禁止に背いたことに由来する。川本真琴の「神様」は正統的キリスト教の神ではなく、グノーシス思想的な神のようだ。
グノーシス思想とは、正統的キリスト教からは異端と断罪された神秘思想。「人間の精神は善なる神(至高神)によって創られたものだが、悪なる神によって創られた肉体に不完全な形で閉じ込められている。」「肉体の呪縛を脱すれば至高神と一つになれる。」「至高神は男性と女性をあわせ持つ両性具有の完全体である。」などを説く。『エヴァンゲリオン』なんかは、明らかにグノーシスの影響を受けている。
④について。これは上記のグノーシス的思想にも関連するのだが、これはもう、くどいくらい何度も何度もうたわれている。
- 「背中に耳をぴっとつけて抱きしめた 境界線みたいな体がじゃまだね どっかいっちゃいそうなのさ」(1/2)
- 「この星が爆発する日はひとつになりたい あったかいリズム 2この心臓がくっついてく 唇と唇 瞳と瞳と 手と手」(1/2)
- 「あたしたちって あってないの? 体なら1っコでいいのに AH! 抱き合ったら こんがらがっちゃうよね」(DNA)
- 「こんな体脱ぎ捨ててあたしが新しくなる」(10分前)
- 「裸で広い宇宙に いつも君と浮かんでる なにも育てず 傷つく まるでそれで1コの生き物のように」(微熱)
しかしその願望は挫折する。
- 「憂鬱な体がほどけない」(EDGE)
- 「『君と僕は他人同士、他人同士だからこそ一緒にいられるはずさ』」(DNA)
- 「あたしとあたしの手があなたにふれた時 できない できない できない>」(桜)
- 「別々の物語を今日も生きてくの?」(微熱)
- 「からまったまんまでひとりぼっちだって教えるの?」(微熱)
そこには神様(至高神)への絶望感がある。
- 「神様がいた昔 こんなのなかったはずだよ」(ブロッサム)
- 「神様は創りかけてやめてしまった こんな気持ち分かんない ぜんぜん」(桜)
川本真琴の詞は、肉体の呪縛を脱して「あなた」と融合して完全体になりたいという願望と、その挫折の間をさまよっているように感じる。