道元禅師の答え

一昨日の日記に引き続きですが、天台本覚思想に対する道元禅師の答えは、著書『正法眼蔵』の「現成公案」の巻の冒頭に示されていると思います。学生時代にこの部分を翻案した詩を書きました。http://www.geocities.jp/kikai_obog/notebook/licheng.htm の「本当が現れるとき」というのがそれです。判読しづらいのでテキスト化しました。↓

本当が現れるとき


小さい頃は 世界は神様で
世界は僕につながり 僕は世界を含んでいた
そこには意味があり 価値があり 目的があり
そしてそれが あたりまえだった
蜂蜜のような濃密な金色が世界を満たしていた


いつの間にだか 神様は去り
いつの間にだか 世界はよそよそしくなった
僕は僕でしかありえず 君は君でしかありえなくなった
そこにはもう 意味もなく 価値もなく 目的もなく
何もかもが 不確かとなった
凍てつくような鉛色の砂塵が吹きすさぶようになった


求めているものは何だろう?
金色の豊かな世界にいた頃も
鉛色の貧しい世界にいる今も
僕は毎夜 夢を見続け
僕は毎日 夢を抱き続ける
世界が鉛色だとしても 金色の夢は本物だから
そこには意味があり 価値があり 目的がある


そうは言っても じつのところ
夢のために歩ける日もあれば 疲れ果てて動けない日もある
自信は花のように はかなく散りゆき
自己嫌悪は雑草のように 頭をもたげ
でもどっちかだけになることもない
勝れた自分と愚かな自分 どちらも自分の一部だから
どちらも両方受け入れて 本当の自分を生きてゆこう