地中海の西部でローマとカルタゴがポエニ戦争を戦っていたころ、東部にはアレクサンドロス大王の後継者たちが建てたギリシャ系王朝(アンティゴノス朝、セレウコス朝、プトレマイオス朝)が割拠していた。いわゆるヘレニズム三国だけど、どういうわけかヘレニズム三国がローマ史とのからみで語られることは少ない。
地中海世界の西の覇を争うローマ(青)とカルタゴ(茶色)、東に割拠するアンティゴノス朝(紫)、セレウコス朝(黄色)、プトレマイオス朝(緑)
図: Wikipedia アンティゴノス朝 より
もっとも、共和政ローマとプトレマイオス朝の最後のからみだけは超有名。主役はローマのカエサル、アントニウス、オクタウィアヌス(アウグストゥス)と、プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ。地中海世界を東西に二分して争い、最後はオクタウィアヌスが勝利して地中海世界をまるっと支配するローマ帝国が成立した。
地中海世界の西に拠ったオクタウィアヌス(緑)と東に拠ったアントニウス・クレオパトラ同盟(紫)
図: Wikipedia 西ローマ帝国 より
そう考えるとローマ帝国の全盛期ってローマ的西方世界とギリシャ的東方世界が一時的に統一されてたにすぎないのかもしれない。ローマ帝国が全盛期を過ぎるとまた東西に分裂してしまったわけで。
西ローマ帝国(赤)はローマ的西方世界を、東ローマ帝国(紫)はギリシャ的東方世界を治めた。
図: Wikipedia 西ローマ帝国 より