哲学とphilosophy

 「哲学」という語は、英語の"philosophy"にあたる語だが、昔から日本にあった語ではない。明治時代に西周(にし あまね)という人が"philosophy"の訳語として考案した語である。このように明治になって西洋の言葉を訳すために実に多くの漢字語が作られた。「科学」しかり、「民主主義」しかり。
 西洋からの外来語を訳すのに、日本の固有語である和語(やまとことば)を用いず、それ自体もともと外来語である漢字を用いざるをえなかったところに日本語の特徴が見える。つまり日本は中国の漢字文明の強い影響下で開化したため、高度に抽象的な思考はすべて漢字語によってなされ、和語がこの方面に発展することができなかったのだ。
 これはある意味、不幸なことかもしれない。日本語では平易な語彙で哲学することが困難だ。哲学書を開くと、しかめっ面な漢字語がページを埋め尽くしている。しかめっ面な漢字語の哲学用語も、元になった西洋語では意外と平易な言葉だったりする。そもそも西洋語の抽象的語彙のほとんどがギリシア語、ラテン語の平易な語彙に由来するものである。本当の哲学とは、平易な日常の言葉でなされるものではないのではないかと思う。