森鴎外の「うたかたの記」に「バワリア王ルウドヰヒ第二世」という人名が出てくる。誰のことかなと思ったら、どうやら南ドイツのバイエルン国王ルートヴィヒ2世のことのようだ。あのノイシュバンシュタイン城をつくったバカ殿である。
ドイツという国は近代統一国家ができるのが意外と遅かった国である。ドイツ帝国の成立は1871年だから、じつは明治維新より後である。統一以前のドイツは、室町〜江戸時代の日本みたいに、各地にたくさんの領主 (日本の大名みたいなもの) がいてそれぞれが自分の領邦 (日本の藩みたいなもの) を治めていた。そして最も有力な領主が「皇帝」を名乗っていた。日本で最も有力な大名である足利家や徳川家が「将軍」を名乗っていたのに似ている。とても統一国家といえる体制ではなかった。
19世紀の帝国主義の時代になって、イギリス、フランスに遅れをとったドイツは、このままではいかん!と、ようやく国家統一をめざすようになった。当時のドイツの有力な領邦トップ3を挙げると、
第1位は、ハプスブルク家が治めるオーストリア帝国
(当時オーストリアはドイツの一部だった。というよりドイツで最有力の領邦であり、
オーストリア領主が、長く代々ドイツ皇帝を名乗っていた。)
第2位は、ホーエンツォレルン家の治める北ドイツのプロイセン王国
第3位は、ヴィッテルスバッハ家の治める南ドイツのバイエルン王国
第1位のオーストリアは当然、オーストリアを中心にドイツを統一しようと考えた。
第2位のプロイセンは、オーストリアをドイツから追い出して、プロイセンを中心にドイツを統一しようと考えた。
こうしてオーストリアとプロイセンが対立し、戦争が起こった。1866年の普墺戦争である。結果、プロイセンが勝利し、オーストリアはドイツから追い出された。そして1871年、プロイセンを中心にドイツは統一されて「ドイツ帝国」となり、プロイセン国王ヴィルヘルム1世が「ドイツ皇帝」となった。対して敗れたオーストリアのフランツ・ヨーゼフ1世は、広く東欧を支配する「オーストリア・ハンガリー帝国」の皇帝となった。
で、この大変な時期に第3位のバイエルン王国はどうしていたかというと...
ルートヴィヒ2世というバカ殿が王位についていた。美男子で、芸術を愛し、中世の騎士道に憧れるロマンティスト。太平の世ならそんな王様がいてもいいかもしれない。彼はこの時代に生まれるべき王ではなかった。ドイツが統一に向けて動いているさなかに、彼は国政を顧みず、現実から逃避して、ただ自分の趣味のためだけにノイシュバンシュタイン城という華麗な(しかし戦略的には全く無意味な)城を造営したりしていた。
というわけで、高校の世界史の教科書にもバイエルン王国やルートヴィヒ2世の名は出てこない。
現在、ドイツ連邦共和国内のバイエルン州は、人口約1200万人、GDP約3800億ユーロ。これはオーストリア共和国の人口約800万人、GDP約2300億ユーロを上まわっている。なにしろBMWやアウディやシーメンスといった世界的企業があるから。