K入声とT入声の読み

漢字の発音の分類にK入声/T入声と呼ばれるものがある。古代中国における漢語の発音では、K入声/T入声は[k]/[t]の内破音で閉じる閉音節であった。日本では、K入声/T入声は −キ、−ク、−チ、−ツと音読みされる。域(イキ)、策(サク)、七(シチ)、発(ハツ)などがそれである。いうまでもなく、−キ、−ク がK入声であり、−チ、−ツがT入声である。

日本語と同様に古代に漢語を輸入した言語には、韓国語やヴェトナム語があるが、これらの言語ではK入声/T入声は閉音節のまま取り入れられた。(ただし、韓国語ではT入声は[t]が[l]に遷移した。)

しかるに日本語では、もともと固有語の音韻体系が単純で閉音節を持たず、基本的に単子音と単母音が交互に現れるものだったため、古代日本人には漢語のK入声/T入声を正しく発音することが困難であった。そのため、母音の i ないし u を補って発音するようになったのだろう。これは現代のいわゆるカタカナ英語と似た現象といえる。これにより、漢字は1音節の形態素を表すという大原則が日本では崩れることになった。

では、K入声に−キ、−クの2通りの読みがあり、T入声に−チ、−ツの2通りの読みがあるのはなぜだろうか? −キ/−クおよび−チ/−ツのどちらの読みになるかは、概ね前の母音によって決まる。


K入声
ak→アク (例) 悪(アク) 各(カク) 酢(サク)
ik→イキ (例) 域(イキ) 式(シキ) 力(リキ) …呉音
  イク (例) 菊(キク) 竹(チク) 肉(ニク) …呉音/漢音
uk→ウク (例) 福(フク) 宿(シュク) 塾(ジュク)
ek→エキ (例) 駅(エキ) 的(テキ) 壁(ヘキ) …呉音/漢音とも
ok→オク (例) 億(オク) 国(コク) 足(ソク)


T入声
at→アツ (例) 圧(アツ) 活(カツ) 冊(サツ)
it→イチ (例) 一(イチ) 吉(キチ) 七(シチ) …呉音
  イツ (例) 逸(イツ) 詰(キツ) 質(シツ) …漢音
ut→ウツ (例) 鬱(ウツ) 屈(クツ) 出(シュツ)
et→エチ (例) 越(エチ) 結(ケチ) 節(セチ) …呉音 (現代では一般的でない)
  エツ (例) 越(エツ) 結(ケツ) 節(セツ) …漢音
ot→オツ (例) 乙(オツ) 骨(コツ) 卒(ソツ)

つまり次のことが言える。

  • a/u/e に続く場合は、必ず k/t の後に u が補われる。
    (古くは「卒」を「ソチ」と読む例もあるが今はおく。)
  • K入声で i に続く場合は、漢音では u が補われるが、呉音では i または u が補われる。
  • K入声で e に続く場合は、 i が補われる。
  • T入声で i に続く場合は、漢音では u が補われるが、呉音では i が補われる。
  • T入声で e に続く場合は、漢音では u が補われるが、呉音では i が補われる。

ではなぜ、i/e に続く場合に i が補われるのかというと、これは以前にも書いた一種の母音調和的な現象ではないかと思う。要するに、同じ母音ないし似た母音が続くほうが発音しやすいのである。i は日本語の母音の中で調音位置が最も端に位置する鋭い音であり、e は残る母音の中では調音位置が比較的 i に近い母音である。このため、i/e に続く場合に i が補われるのではなかろうか。

さらにいうと、古い時代の漢字の読みである呉音でこの傾向が強く、呉音より後に定まった漢音では i を補うのは ek→エキ の場合のみである。

面白いことに、先に述べたカタカナ英語にも似た現象がある。例えば、"ink"は昔は「インキ」と読んだが、今は「インク」と読む。"stick"は昔は「ステッキ」と読んだが、今は「スティック」と読む。"break"は昔は「ブレーキ」と読んだが、今は「ブレーク」と読む。ただし、古い読みも一部の用語では定着して根強く使われている。これも呉音と漢音の関係に似ている。